横浜 ベイにある ケアワ’ウラ ビーチ



オアフ島の西側 最先端に山に囲まれた美しいビーチがある。
観光化されていないこの海岸には まばらな海水浴客、
バベキューを楽しむ地元家族ずれがところどころに見られ、
青空にとけ込む青く澄んだ海 何処迄も続く白浜が
眩いばかりに光り輝いている。

このビーチの近辺を横浜ベイと名ずけられている。
横浜の名の由来は昔 横浜港から大勢の移民が出航
ハワイに移住して来た為と思われる。



日本からの移民労働者は(1900ー1930年頃)
砂糖キビ農園で働き 心身の疲れを癒しに毎日このビーチに
大勢 釣りや水泳等に集まった為横浜ベイと呼ばれる様になった。
その当時の労働状態を少しつけ加えると・・

移民労働者は長屋や寮形式の住宅に住まわされたが
(日本以外にポルトガル、韓国、プエルトリコ、フィリッピン等)
国別のブロックに別れての住居であった為 同じ言葉、
文化を持った同士が一緒に住む事が出来た。



一日の仕事は先ず朝5時の蒸気笛で始まり 朝ごはんを
5時半迄に食べ終えて仕事に出て行かない場合は
警察官が見回りに来てたたき起こされた。



6時には仕事が始まり 11時半に30分の昼食、
午後4時半迄働き 夜8時に消灯の蒸気笛が響いた。

この長時間の労働に耐え 家族を支えた日系一世の人達の
勤勉さと努力は現在でも日系人の間で語り継がれている。

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