パンチボール国立太平洋記念墓地





マキキにある死火山は今から約10万年前の火山活動によって形成された噴火口の土地がフルーツパンチなどを入れるボールの形に似ていることからパンチボールと名ずけられた。

ハワイ語ではプオワイナ(生にえの丘)と呼ばれパンチボールはかつて生にえを神に捧げたり、タブーを犯した者を処刑する祭壇としても使われた。






1948年に以前アメリカ陸軍の管轄であった数多くの墓地をこのパンチボールに米軍戦没者を追悼する国立墓地として米議会が可決した。

翌年に第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などで戦死した兵士34,000人の「国立太平洋記念墓地」として創建された。




第二次世界大戦中の1942年 日系二世だけの大隊が編成され1944年イタリアの前戦で大きな成果をあげ戦死した多くの日系兵士もこのパンチボールに埋葬されている。

1966年パンチボールの正面に女王像が建立され1976年には国の歴史的建造物として指定された。

この女王像は30フィートの高さで”コロンビア”と呼ばれ戦艦の船首の上に立ち月桂樹の枝を左手に持っている。

 


正面に行く階段の両側には石の厚板が並び 太平洋戦争などの米軍戦没者28,000名の名前が刻まれている。

現在パンチボールには軍人だけでなくハワイ初の宇宙飛行士の故エリソン鬼塚氏など44,000人以上の魂が眠っている。

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